春彼岸号 | 宗教法人 龍性院 | 埼玉県比企郡吉見町にある”真言宗智山派岩室山龍性院”のオフィシャルホームページ

春彼岸号
  • 春彼岸号2019.03.25

    晴天の素晴らしい日があったと思ったら雨の日が続いたりと、冬から春への季節の変わり目らしい落ち着かない天候の今日この頃です。

    未だに日中でもストーブが必要な日もありますが、それでも、晴雨に関わらず着実に春が近づいているなと実感できる暖かい日が増えて来ている様に感じます。

    春はもう目の前です。

     

    さて、暖かくなってきて嬉しいのは私たち人間だけではありません。

    これからの季節は、庭の雑草にとっても非常に過ごしやすい、成長のシーズンを迎えます。

    せっかくキレイに草むしりをした庭に、5日も経てばまた新たに雑草が生えてきているのを見ると、憂鬱な気持ちになりますよね・・・。

    これから約半年間、そんな日々が続くのかと。

     

    しかし、人間に嫌われ、不名誉にも〝雑草〟と名付けられた植物も、実はそれぞれ大切な役割をもって存在をしています。

     

    例えば、園芸植物と一緒に雑草が生えていると、害虫はまず背丈の低い柔らかい雑草から食べるので、食害を防いでくれるのだそうです。

    また、土を浄化する効果もあり、酸性に傾いた土壌には酸性を好む草が、アルカリ性に傾いた土壌ではアルカリ性を好む草がそれぞれ生える様になり、どちらかに土壌が偏ることがないよう、中和してくれるのだそうです。

    その他にも、根を深く張り土が浸食されるのを防いだり、夏場には地面の温度上昇を妨げ、土の中にいる微生物や他の植物を守る等、数多くの有益な役割を果たしてくれているのです。

     

    仏教では、あらゆる生き物を慈しむ心を大切にします。

    それは、私たち人間の命が人間だけでは存在することはできず、あらゆる動物や植物の命とつながって初めて存在し得るものだからです。

    私たちが〝雑草〟と呼ぶ植物も、自然がこの世に必要なものだと認めたから存在するものであって、決して〝雑〟草なんかでは無いのです。

    もちろん、生活する上で庭や畑、道路等の手入れは必要ですが、いたずらに駆除するのは自然のバランスを崩してしまうことに他なりません。

    いずれ私たちの生活に影響が表れることも考えられます。

     

    私たち人間の社会でも、「あいつは役に立たない奴だ!」等と厳しい言葉が飛び交うのを聞くこともありますが、大切なのは自分の価値観だけで物事を考えてはいけないということなのではないでしょうか?

    〝わたし〟が思う役に立たない〝あいつ〟も、私たちの知らない所で、誰かの助けになっているのかもしれません。

     

    雑草が自然を労わる様に、私たちも自然を労わりながら生活していきたいものですね。

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  • 春彼岸号2018.03.05

    今年も早いもので、平成30年の新年を迎えてから2か月半ばかり経過をいたしました。

    春のお彼岸を前に、季節の変わり目らしい寒暖の差がある落ち着かない天候が続いておりますが、龍性院檀信徒の皆様にはお変わりなくお過ごしでしょうか?

     

    花粉も大量飛散中であり、風邪もまだまだ油断できない今日であります。

    何卒体調には十分ご留意いただき、暖かい春をお迎え下さい。

    皆様には、常日頃より當山護持のため格段のご信援を賜り、厚く御礼申し上げます。

     

    さて、この冬は寒さが大変厳しく、さいたま市では1月26日に1977年に観測を始めてから最も低い気温である-9.8℃を記録。

    この寒さと空気の乾燥の影響から、国内ではインフルエンザが大流行いたしました。

     

    先ほど皆様に「体調には十分ご留意いただき~」と申し上げましたが、恥ずかしながら私も、今年になってインフルエンザA型に罹患してしまい、数日間休息を取らざるを得ませんでした。

    新たな年を迎え、忙しい毎日の中でろくに休息も取っていなかった私にとって、不本意ながらも体を休ませる機会をいただくことになったのです。

     

    数日間の休息の後、体調は快方に向かいましたが、その時感じたのは、インフルエンザに罹患する前より今の方がずっと体が快調になったということです。

    また、体の為には無茶は禁物だし、やはり休息は大切だなと改めて学ぶ良い機会になりました。

     

    〝無病息災〟という言葉があります。

    病気や災いにも見舞われず、元気に過ごすことを意味します。

    さらにもうひとつ、〝一病息災〟という言葉があります。

    何かひとつ病気をした人は健康に留意するようになるので、かえって元気に長生きするものである、といった意味です。

     

    無論、無病息災であることが何よりですし、そうありたいものだと思います。

    しかし、病気を患ったからこそ気づくこともたくさんあるのです。

    私たちは、諸行無常の世界に生きております。

    今元気だといって将来も安心ではないし、病気だからといって将来も絶望ではないのです。

     

    大切なのは、現状をしっかり見つめ、学び、これからの生活にどう活かすかということではないでしょうか?

    この〝一病息災〟には、私たちが心豊かに過ごすためのヒントが込められていると私は思います。

     

    今年インフルエンザになった方も、そうでない方も、現状を見つめ、学び、今までの経験を今後に活かしてお過ごし下さい。

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  • 春彼岸号2016.03.02

    寒さもようやく緩み、一雨ごとに春めいて参りました。

    龍性院檀信徒の皆様方におかれましては、益々ご健勝の事とお慶びを申し上げます。

    また、常日頃より當山護持のため格段のご信援を賜り、厚く御礼申し上げます。

     

    さて、今年も春のお彼岸の季節が近づいて参りました。

    ついこの前、平成28年の新年を迎えたばかりの気も致しますが、あっという間ですね。

    あっという間といえば、今年は東日本大震災が発生してから、丸5年の節目でもあります。

    被災地は未だ復興道半ばであり、被災された皆様のご心痛を察すると言葉もみつかりません。

    被災をされました方には謹んでお見舞いを申し上げます。

     

    私は現在、智山青年連合会という若手僧侶が属する団体の事務局の仕事を致しております。

    この智山青年連合会の活動を通じ、東日本大震災が発生して以降、毎年3月11日には被災地の海岸や御寺院様に赴き、亡くなった方々の慰霊をさせて頂いております。

    そうした活動に於いて、被災地の方ともお話をする機会を頂きます。

    そこで会話をした方が仰るには、被災地の事を忘れ去られてしまうのが何より悲しいし、寂しいというものでした。

    だから、全国の方が思いを寄せてくれるだけでも、本当に有り難いんだと話して下さいました。

     

    震災発生直後には大勢いたボランティアも、現在は人手が足りなくなっているという報道も目に致します。

    人は忘れる事ができるから生きていけると言います。確かに一理あると思います。

    しかし、私たちはまだ忘れてはいけないと思うのです。辛く悲しい思いをされた被災地の皆様の心の傷が癒えるまでは・・・。

     

    間もなく春のお彼岸です。

    是非、ご家族皆でお墓参りに出かけ、亡き人を忘れずご先祖さまに思いを馳せて下さい。

    皆様のご健勝と、被災地の1日も早い復興を至心にご祈念申し上げます。

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  • 春彼岸号2015.03.15

    龍性院檀信徒の皆様方におかれましては、益々ご健勝の事とお慶びを申し上げます。

    また、常日頃より當山護持のため格段のご信援を賜り、厚く御礼申し上げます。

     

    今年も春のお彼岸の季節が近づいて参りました。

    古来より〝暑さ寒さも彼岸まで〟と言われておりますが、本当に春のお彼岸が近づくと、朝晩の冷え込みも弱まり、日中は少し暖かさを感じることができる、そんな春らしい日も増えて参ります。

     

    私は、どちらかといえば寒がりな方ですので、冬のない国をうらやましいなぁと思うこともありましたが、最近は「冬の寒さがあるから、春の暖かさの有り難さがわかる。それを身をもって感じることができる日本は素晴らしい国だなあ。」なんて考えるようになりました。

    年の功でしょうかね・・・。

     

    さて、先日のことですが、仕事関係の後輩と久しぶりに会い食事をする機会に恵まれました。

    数年ぶりに一緒に食事をしたので、話ははずみ、あっという間に帰宅する時間となりました。

    会計を済ませ、別れ際にあいさつを交わした時、後輩が一言「ちゃんと帰る家があるって当たり前なようだけど有り難いことですよね。」と言いました。

     

    後輩とはお店の前で別れ、私は電車に乗り帰路につきました。

    電車に乗っている途中、先ほどの後輩の一言の意味を考えていました。

    確かに、何の気兼ねもなくこうやって安心して食事に出かけられたのも、ちゃんと今日帰る家があるからだなあと。

    15年近く前だと記憶していますが、親子喧嘩をし、家出同然で自宅を飛び出した同級生の友人がおりました。

    家出期間中に、私もその友人と何度か会い、遊んだり食事に行ったり、談笑したりしましたが、やはりいつものような楽しそうな様子はなく、元気もありませんでした。

     

    その後、食事も終わり夜になったので、私は「じゃあ、家に帰るわ!」と言って別れようとすると、友人は「帰るとこがあって良いな・・・」とポツリ。

    あまりに寂しそうだったので、帰る時間を延ばしてもう少し話を聞いてみると、その友人は家出してからというもの帰る家がないという不安から、遊んでいても楽しくないし、食事をとっても美味しくないと言いました。

    結局その後、その友人は喧嘩したことを親に詫びると言って、自分の家に帰ってくれました。

     

    さて、再び帰りの電車の中の私に戻りますが、こうした過去の事例を思い出しながら、やはり帰る家があればこそ、安心して楽しい気持ちで出かけることができたのだなぁとしみじみ考えておりました。

    そして、この件を人生に置き換えて考えてみました。

    つまり、この世に生まれてから死を迎えるまでを出かけている時間とすると、いざ死を迎える時にちゃんと帰る家が定まっていないと、人間はせっかくの生きている時間を安心して楽しく生きられないのではないかと思いました。

     

    死を迎えてから帰るところを自分なりに信仰し、わかっている方は、生きている期間を安心して過ごすことができるのだと思います。

    私たちが死を迎えてから往く場所は、真言宗のご本尊〝大日如来さま〟のいらっしゃる密厳浄土であり、先に亡くなられているご先祖さまが待つ世界です。その世界をしっかりとイメージし、信仰することで、私たちは人生という外出を終えた時の、帰る場所を見つけることができるのではないでしょうか?

    冒頭に申し上げましたが、間もなく春のお彼岸です。是非、ご家族皆でお墓参りに出かけ、ご先祖さまに思いを馳せて、信仰心を高め、皆様の〝帰る家〟を見つけて頂きますようお願いいたします。

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