真言宗智山派岩室山龍性院の宗派について

真言宗智山派について

真言宗智山派は、弘法大師空海を始祖とし真言宗中興の祖・興教大師覚鑁を開祖とする新義真言宗と呼ばれる宗派の中の一つです。
天正5年に根来山の学頭職となった玄宥(げんゆう)は、天正13年豊臣秀吉による紀州征伐で焼き滅ぼされた根来山智積院を慶長6年徳川家康に寺領を拝受し復興させました。
この出来事を端緒に創建されることとなった宗派です。

真言宗智山派について
弘法大師空海について

弘法大師空海について

(774年 – 835年)
空海は平安時代の僧です。
空海は唐から真言密教を持ち帰って真言宗を開き、高野山金剛峰寺を開きました。 書でも有名で三筆の一人に挙げられています。
土木技術にも優れており満濃池を改修したと伝えられています。

讃岐国の佐伯氏の出身で幼名は真魚(まお)と言いました。
804年に31歳で唐に渡り、長安で恵果の弟子になり密教を伝授され、806年に書物や仏具を携えて帰国しました。
816年に高野山に密教修行の場を作る許しを受け、819年には金剛峰寺の伽藍建設に着手
また、823年に東寺を与えられ真言密教の道場としました。
828年には庶民のための学校となる綜芸種智院を建設し835年に高野山で入寂しました。

覚鑁(かくばん)について

(1095年 – 1143年)
覚鑁は平安時代後期の僧です。
新義真言宗の開祖、また伝法院流の祖と言われています。
諡号(しごう)は興教大師です。

高野山に大伝法院・密厳院などを建立し金剛峰寺とともに座主を兼ねましたが、一山の反対にあい根来(ねごろ)に移り円明寺を建立しました。

著書に「五輪九字明秘密釈」などがあります。

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