正月号 | 宗教法人 龍性院 | 埼玉県比企郡吉見町にある”真言宗智山派岩室山龍性院”のオフィシャルホームページ

正月号
  • 正月号2019.01.01

    いよいよ平成最後のお正月となります。

    龍性院檀信徒の皆様方におかれましては、平成31年の新しい年をご家族ご一同様でご無事にお迎えのことと、心よりお慶び申し上げます。

    また、昨年中に皆様方に賜りましたご厚情に対しまして、心よりお礼を申し上げます。

     

    さて冒頭で申し上げました通り、平成の元号でお迎えをするお正月は今回が最後となります。

    天皇陛下は本年の4月30日に譲位し、皇太子殿下が新天皇に即位される5月1日をもって新元号へと改元されます。

    30年続いた平成も、あと数か月で終わりを迎えます。

    私は昭和の生まれですが、小学校へ上がる少し前に現在の平成の元号となりましたので、平成の30年間は今までの自分の人生の大部分を占めております。

    言ってみれば、私の人生の記憶はほぼ平成のことといっても過言ではないかもしれません。

     

    平成という時代は、日本や世界、また自らの人生も含めて本当に様々なことがありました。

    そのひとつひとつを具体的の述べるとキリがないので割愛致しますが、国の内外を問わず発生した自然災害、東西冷戦の終結や国同士の政治的関係性の遷移、紛争、また科学・医療・通信・工業等は日進月歩で進化し、実に変化に富んだ時代であったと私は思います。

    そして、その変化に伴い私たちの生活も一変しました。

     

    いまや電話は一家に一台から一人で一台を持つ様になり、スマートフォンの普及により一人一人がどこでもインターネットに接続し知りたいことを知りたい時に調べることができます。

    買い物もインターネットショッピングで自宅にいながら好きな時間に好きなものを好きな場所へ配送してもらえます。

    また人工知能(AI)の発達により、人間に代りコンピューターが自ら考え私たちをサポートしてくれる、そんな時代になりました。

    一見私たちの生活は飛躍的に便利になりました。

    しかし、利便性のみを追求するあまり、人間同士の関係性は確実にこの30年で弱体化してしまったのではないかと思います。

     

    仏教では人間関係を大切に考えます。

    お釈迦様は、「善友に勝る宝なし」と言われました。

    善友とは単に友達ということではなく、自分のことを心から想ってくれるすべての方のことです。

    いくら時代が変化しようとも、この言葉が意味する真実は決して変わることはないはずです。

    善友は人間関係なしに決して得られるものではありません。

    ならば私たちは、今後も人間関係を弱体化させるのではなく、むしろ継続・発展させていくことこそ肝心なのではないでしょうか。

     

    檀信徒の皆様の目に、〝平成〟という時代はどの様に映っておられますか?

    この平成の30年間で頂いた多くの恩恵に感謝を申し上げ、来る新時代に皆様の愈々のご健勝、ご多幸をご祈念いたしまして、新年のご挨拶とさせていただきます。

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  • 正月号2018.01.01

    新年おめでとうございます。

    龍性院檀信徒の皆様方におかれましては、平成30年の新しい年をご家族ご一同様でご無事にお迎えのことと、心よりお慶び申し上げます。

    また、昨年中に皆様方に賜りましたご厚情に対しまして、心よりお礼を申し上げます。

     

    さて、先月のことですが、学生時代の友人数人と久しぶりに食事に出掛けました。

    美味しい料理を囲みながら、学生の時の話で盛り上がっていた時、友人のひとりがテストの点数に話題を向けました。

    その友人は、俗に言えば大変勉強が得意であり、テストで一度70点代をとってしまった時に、もうどうしようもなく落ち込んでしまい、しばらく立ち直れなかったという話でした。

    勉強が得意でない者からすれば嫌みに聞こえるかもしれませんが、彼は本当に落ち込んだと真剣に話してくれました。

    その話を聞いていたもう一人の友人は、「俺だったら、70点代とれたら万々歳だよ!」と答えました。

     

    私は、そのやり取りを聞いて、なるほどな~と納得し、箸を進めていました。

    テストの点数は同じ70点でも、ある者からすれば立派な合格点であり、またある者からすれば落第点に等しいと感じる。

    人間の心、感受性は実に様々だなと感じました。

     

    テストに限らず私たちは常日頃、さながらテストの点数の如く、自らや他人の事について心で採点を下しながら生活をしています。

    食事にしても、口に運び自らの経験と判断の元に、美味しいとか不味いと判断し、採点しています。

    人間関係にしても、「この人はこんなにいいところがあるけど、ここがダメだ!」と他人を採点します。

    この採点の方法には、加点式と減点式の二つがあります。

     

    先ほどの70点で落ち込んでいた友人は、70点という点数を減点式でとらえているのだと思います。

    もともと100点満点のはずのなのに、30点分も間違ってしまったという考え方です。

    一方、もう一人の70点で万々歳の友人は、もともとは0点のところ70点分も正解できたという加点式の考え方です。

     

    私は、この二つの考え方のどちらが正しく、どちらが間違っているということを言いたいわけではありません。

    確かに、100点を目指そうと思えば楽観的に物事を考えるだけでなく、どこで30点間違ったのか、きちんと向き合うことは大切です。

    しかし、70点をとったことで、しばらく立ち直れないほどに落ち込むというのであれば、そこは加点式で事実を受け止め、次回に向け前向きに努力を重ねていくのが、その方の為ではないかと感じます。

     

    人についても、どうしても私たちは減点式で判断しがちです。

    自分も含め、100点の人間なんてそうはいるものではありません。

    自分や他人、すべてのものの良いところを加点してみる心を養えれば、今まで以上にゆとりをもって過ごせるのではないでしょうか?

     

    年頭に当たり、皆さまのご健勝、ご多幸をせつにお祈りいたします。

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  • 正月号2017.01.01

    平成28年もあっという間に過ぎ去り、新年が始まります。

    龍性院檀信徒の皆様方におかれましては、平成29年の新しい年をご家族ご一同様でご無事にお迎えのことと、心よりお慶び申し上げます。

    昨年中に皆様方に賜りましたご厚情に対しまして、心よりお礼を申し上げます。

    また、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

     

    さて、ここ数年の龍性院だより正月号では、まず昨年一年間に起きた出来事等を振り返り、お話をさせて頂いておりますので、今回もそのようにさせて頂きたいと存じます。

     

    昨年を振り返りますと、国内では4月14月に熊本県、大分県を中心に最大震度7の非常に大きな地震が発生し、2日後には本震とされる揺れを観測。

    以降、大きな余震が続き、この地震での直接死者数は50名、避難生活からくるストレスや病気でなくなった関連死の方を含めると、100名以上の尊い人命が失われました。

     

    また、8月に相次いで発生した台風により、とりわけ北海道や岩手県は甚大な被害にみまわれました。

    北海道に3つの台風が上陸したこと、東北地方太平洋側に台風が上陸したことは、気象庁が1951年に統計を開始して以来、初めてのことだそうです。

    この豪雨に伴い住居への浸水被害、河川の氾濫、土砂災害が発生し、岩手県、北海道等で20名近くの方が亡くなられました。

    改めまして、被災をされました方々に心よりお見舞い申し上げ、お亡くなりになられました皆様のご冥福をお祈りいたします。

     

    日本はもともと自然災害の多い国と言われます。

    全世界の中で日本の国土が占める割合は、わずか0.3%弱ですが、全世界で発生しているマグニチュード6以上の地震の20%以上が日本で起こっているそうです。

     

    それに関連して、活火山も多いわけですから、全国大体どこに行っても温泉が涌き出ていたり、最近ではクリーンエネルギーとして地熱発電が注目をされていますが、これも活火山があるお陰さまでもあるのです。

    確かに地震というデメリットはありますが、少なからずメリットも享受をしているわけです。

     

    私たちは、自然の中で、自然の恵みを頂いて生かされています。

    なので、自然が無くなれば当然生きていくことはできません。

    自然が無ければ生きていけない私たち人間が、自然の営みの中で発生する自然災害からのみ逃れることは無理なのかもしれません。

    ですから、逃れられない災害から少しでも身を守る備えは必要ですし、備えていても不幸にもお亡くなりになってしまう方がいることは、遺憾にたえません。

    不幸にも亡くなってしまった方を鎮魂する、それが私たち生きている者にできることです。

    しかし、自然災害が起こるからと言って、自然を悪だと思うべきではないと思います。

     

    物事には〝裏〟と〝表〟があります。先ほど申し上げましたように、生き物は自然によって殺されてしまう事もありますが、
    普段は自然に恵みを頂き生かさせてもらっているのです。

    私たちは何かあると、物事の悪い方を印象深く残してしまいがちですが、何事も良い部分もあれば悪い部分もあるのです。

    それが私たちの生きている〝世界〟なのです。

     

    物事の良い部分は、とかく陰に隠れて見えにくいものです。

    しかし、何事にも、どんな方にでもある〝お陰さま〟を常に見つける正しい眼を持つことができれば、今までより清々しい世界が開けるのではないかと思います。

    年頭に当たり、皆さまのご健勝、ご多幸をせつにお祈りいたします。

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  • 正月号2015.01.01

    新年明けましておめでとうございます。

    龍性院檀信徒の皆様方におかれましては、平成27年の新しい年をご家族ご一同様でご無事にお迎えのことと、心よりお慶び申し上げます。

    また、昨年中に皆様方に賜りましたご厚情に対しまして、心よりお礼を申し上げます。

     

    昨年1年を振り返りますと、2月に関東地方を襲った豪雪に始まり、夏には豪雨に伴う広島の土砂災害、9月には御嶽山の噴火、11月には長野県北部を中心に最大深度6弱を観測する地震が発生する等、日本は多くの自然災害にみまわれ、全国各地に甚大な被害をもたらしました。

     

    しかし、悲しいことではありますが、このような災害は日本だけに止まらず、世界各地でも多数発生をし、多くの方々を苦しめる一因となっています。

     

    過去の龍性院だよりでも申し上げましたが、仏教における自然観は、人間が自然を支配する、従属させるというものではなく、自然と共生する生き方を目指すものです。

    言うまでもなく、このような悲惨な災害が無いに越したことはございません。

    しかしながら、いつもは大いなる恵みを与えてくれるも、時には牙をもむくこの〝自然〟に、私たちが生かされているのは、厳然たる事実なのです。

    〝自然〟とは元来、地球上のすべての生物に恵みを与えてくれる有り難いものではあるが、時には恐ろしい一面もあるとしっかりと認識をし、災害に対してできる限りの備えを致すことで、自然との共生を図っていくほか、道は無いのだと思います。

    そして、そうした災害によって奪われてしまった尊い命が、少しでも安らかなるようにと鎮魂の祈りを捧げ、残された方々に寄り添い、再び前を向いて歩めるようお手伝いをしていくことが何より重要ではないかと、私は思います。

     

    さて、昨年は災害が続いた日本ではございましたが、このような苦しい状況の中にも、一筋の光明をみた気が致しました。

    8月に広島市で土砂災害が発生した折、東日本大震災の時に広島の方々に良く援助をして頂いたからとの理由で、東北地方から多くのボランティア団体が広島へ駆けつけ、救助に務めて下さったそうです。

    ニュースを見ていると、凶悪犯罪が後を絶たないように思えるこの日本ですが、奪い奪い合うのではなく、施し施し合う仏さまの心が、まだまだ多くの人の心に根付いているのかなあと、少しだけ温かい気持ちになりました。

    こういった施し合う仏さまの心を、私たちも見習い実践していきたいものです。

    1月1日の早朝には、『今年1年が、生きとし生ける皆にとって安らかな年となりますように…』とご本尊不動明王さまにご祈念を申し上げたいと存じます。

    年頭に当たり、皆さまのご健勝、ご多幸をせつにお祈りいたします。

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  • 正月号2014.01.01

    龍性院檀信徒の皆様方におかれましては、平成26年の新しい年をご家族ご一同様でご無事にお迎えのこと、心よりお慶び申し上げます。

    また、昨年中に皆様方に賜りましたご厚情に対しまして、心よりお礼を申し上げます。

     

    さて、當山龍性院の境内地から約600メートル程離れたところに、龍性院の境外(けいがい)仏堂(ぶつどう)である〝岩室(いわむろ)観音堂(かんのんどう)〟がございます。

    この岩室観音堂とは、真言宗の宗祖、弘法大師空海が岩窟を選んで高さ一尺一寸(36.4㎝)の観音像を彫刻してこの岩窟に納め、その名前を岩室山と号したものが始まりであると伝えられています。

    現在のお堂は松山城の落城とともに焼失したものを江戸時代に再建したものと言うことであります。

     

    この岩室観音堂の1階には、左右に岩室があり88体の石仏が祭られております。

    この88体の石仏は、四国八十八ヶ所弘法大師巡錫の霊地に建てられた寺々の本尊を模したものであり、この石仏をおがめば、四国八十八ヶ所を巡拝したのと同じ功徳があるとされています。

     

    長々と説明を申し上げてしまいましたが、昨年(平成25年)10月、この石仏の内の5体の石仏が、何者かに破壊をされるという事件が発生いたしました。

    地元の方からの一報をいただき、状況を確認後、警察へ被害届を提出いたしましたが、未だ誰が何のためにこのようなことをしたのかはわかっておりません。

    この事件の現場検証に来て下さった若い警察官も、「まったく、バチあたりなことをするやつがいるもんですね。」と溢されていましたが、もう一人の警察官が「犯人にはどんなバチがあたるんですかねぇ?」と私に言いました。

    それを聞いて私は、大学時代にご指導いただいたある僧侶の先生の言葉がふと頭に浮かびました。

    その言葉とは、『仏様は人にバチなんかあてない、人間を懲らしめてやろうなんて仏様は考えないからな。』というものでした。

     

    しかし、当時学生で若かった私は、「それじゃあ、バチは誰があてるんですか?」と先生に聞き返しました。

    すると、『バチは誰かがあてるんじゃなく、たいていは自分からバチにあたってるんだよ、人が傷つくことをしたり、もったいないこと、人の道に外れたことをしていると、自分の行く手にバチが置かれてるもんだ。』と答えて下さったのです。

    先生のこの言葉を思い出した私は、得意になって『バチは誰かがあてるもんじゃありませんよ…』と、先生と同じ言葉でもって警察の方にお話しをしてしまいました。

     

    人間裸一貫で生まれてきて、いきなりバチに当たる人はいません。

    育っていく過程で、先に進んでいく中で、バチの置かれている道を歩くか、バチのない道を歩くか決まってくるものだと思います。

    せっかく、仏様からご先祖様からいただいたこの人生、自ら選ぶことができる道もあるのですから、お互いに〝バチ〟には気をつけて、より良い道を進みたいものです。

     

    また、凶悪な事件のニュースを聞く度に、この社会から〝バチ〟に自ら当たりにいくような人が少しでも減り、より良い世界になって欲しいと願わずにはいられません。

    年頭に当たり、皆さまのご健勝、ご多幸をせつにお祈りいたします。

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