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正月号2026.01.01
新年のご挨拶
新年おめでとうございます。昨今の気候変動のせいか、夏が中々終わらずいつまでも暑いと思っていたら、短い短い秋が過ぎ去り、あっという間に寒い冬がやって参りました。しかし、昭和生まれの私は寒い方がやはり正月らしいと感じますし、今年もより良い一年にしようと改めて決意を固めております。龍性院檀信徒の皆様方におかれましては、令和8年の新しい年をご家族ご一同様でご無事にお迎えのことと、心よりお慶び申し上げます。また、旧年中に賜りましたご厚情に対しまして、心よりお礼を申し上げます。本年も、當山護持・発展の為、奮励努力の精神で法務、檀務に取り組んで参りますので、変わらぬご信援を頂きます様、よろしくお願い致します。
新しい年は、心を新たにする特別な節目。お正月とは、心を“正す月”です。神仏に手を合わせ「より良い年になりますように」と願う人は多いでしょう。しかし、良い年にする為には「去年より少しでも良い自分になること」が大切です。何故なら良い年は、“願い”そのものよりも、自らの日々の行いによって積み重ねられる“縁”によって、もたらされるからです。
私たちは、誰かに親切にされた瞬間をよく覚えているものです。忙しい時に手を貸してもらったこと、落ち込んでいた時にかけられた励ましの言葉、心細かった時に自分に向けられた笑顔。それらは心の奥で静かに灯り続けます。
同様に、私たちが相手にしたことも必ず相手の心に残ります。誰かにかけた思いやりの一言、困っている人にそっと差し出した手。ひとつひとつは決して大きなことではないのかもしれません。しかし、そんな小さな優しさが相手の心を温め、その温もりがやがて自分自身に返ってくるのです。
行動の善悪に対応する結果が自らに返ってくる「因果応報」という仏教語がありますが、これは決して脅しの言葉ではなく、優しさ、慈しみの循環を語る言葉だと私は思います。
仏教で大切にされる「布施」は、ただ物を施すという意味に留まりません。人に対して笑顔や温かい言葉を惜しまぬこと。これも立派な布施です。優しくされて嬉しくない人はいません。そしてその優しさは、必ずどこかで芽を出し、思わぬ形であなたの元へ戻ってくるはずです。
また同時に、自分が言われて嫌なことを他人に言わない、自分がされて嫌なことを他人にしないという心がけも、非常に大切なことです。良くも悪くも「因果応報」の世の中ですので…。
一年の始まりであるお正月は、良いご縁を結び直す時。家族にも友人にも、そして出会うすべての人に対して、少しだけ柔らかな言葉と穏やかなまなざしを向けてみませんか?それこそが「去年より少しでも良い自分になること」なのだと私は思います。
令和8年が皆様にとって幸多き年となります様、ご祈念申し上げご挨拶と致します。
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正月号2025.01.01
新年のご挨拶
新年おめでとうございます。昔から、「年を取るとどんどん時が経つのが早くなるよ!」と、人生の先輩方から何度も言われてきましたが、本当にその事を実感する今日この頃であります。令和6年もあっという間に過ぎ去り、また一つ年を重ねます。龍性院檀信徒の皆様方におかれましては、令和7年の新しい年をご家族ご一同様でご無事にお迎えのことと、心よりお慶び申し上げます。また、旧年中に賜りましたご厚情に対しまして、心よりお礼を申し上げます。本年も、當山護持・発展の為、奮励努力の精神で法務、檀務に取り組んで参りますので、変わらぬご信援を頂きます様、よろしくお願い致します。
昨年は、元日に能登半島沖の地震が発災しました。新型コロナウイルス感染症が、5類に移行してから初めて迎えるお正月でありましたので、おそらく多くの方が帰省をされていた事でしょう。家族団欒し、穏やかな元日を過ごしていたであろう午後4時10分頃、最大震度7の大地震が被災地を襲いました。多くの尊い命が犠牲となられました事、深くお悔やみを申し上げます。
能登半島沖では、その後も豪雨災害に見舞われる等、昨年中の苦しみはいかばかりであったのか考えると、言葉も見つかりません。
改めて、私たちが“普通”とか“平凡”とか言って過ごしているお正月や日常とは、どれほど有難いものなのかを考えさせられる、昨年の元日でありました。
私たちは、普段から幸せな人生を願います。しかし、幸せとはいったい何でしょうか?多くの財産を築く事、名声を得る事、いつまでも若くいられる事。100人いれば、100通りの答えが上がるでしょう。でも、おそらく私たちが答える幸せは、誰かとの比較の上に成り立っていませんか?他人より財産を持ちたい、他人より有名になりたい、他人より若く見られたい…。これでは、それを手に入れた一瞬は幸福感を感じるかもしれませんが、すぐに物足りなくなってしまい、いつまでたっても満たされません。比較しても、上には上がいるのですから…。
真の幸せは、他人と比べて得られるものではなく、自分の今ある環境から与えて頂いたものの中に、見出すものだと私は思います。言うは易く行うは難し。偉そうな事を言いましたが、私も真の幸せを感受出来ているかと言われると、時に他人と自分を比べて心が乱れたりと、まだまだ未熟な部分もあります。しかし、すぐに反省し、失敗を引きずらない様心がけてはいます。
ともあれ、私たちが当たり前だと思って過ごしていたお正月や日常は、本当はメチャクチャ有難い時間なんです。被災地の今年のお正月が、どうか“普通”で“平凡”なものでありますように…
令和7年が、皆様にとって幸多き年となります様、ご祈念申し上げ、ご挨拶と致します。
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正月号2024.01.06
新年のご挨拶
新年おめでとうございます。ついこの間、お会いする方々に年始のご挨拶をした様な気が致しますが、あっという間に一年が経ちます。龍性院檀信徒の皆様方におかれましては、令和6年の新しい年をご家族ご一同様でご無事にお迎えのことと、心よりお慶び申し上げます。また、旧年中に賜りましたご厚情に対しまして、心よりお礼を申し上げます。本年も、當山護持・発展の為一生懸命尽力して参りますので、変わらぬご信援を頂きます様、よろしくお願い致します。
“温暖化”という言葉が使われる様になって久しいですが、令和5年の夏も格別に暑い夏でした。また、従来の所謂「夏」と言われた時期のみが暑いわけではなく、9月後半や10月を迎えても最高気温が30度を超える日も多く、11月の前半を迎えても尚、25度を上回る日がある等、一昔前の日本の四季とは様変わりしてしまった様な気も致します。「春」、「秋」と言われた過ごしやすい季節が短くなり、暑いか寒いかの極端な気候が増えてきたと感じます。
こうした異常な気候のせいか、この夏は森林や植木等の立ち枯れの被害も多く目に致しました。私たち人間は、暑かったら涼しい場所へ移動することも可能かもしれませんが、植物はそうもいきません。あまりに過酷な条件では、忍耐強い木々でさえ生き延びるのは難しいのでしょう。
この“龍性院だより”は、檀信徒の皆様には、紙に印刷をしてお届けしております。ベトナム出身の僧侶であるティク・ナット・ハン師は、著書において次の様に述べています。
「もしもあなたが詩人なら、この紙の上に雲が浮かんでいるのが、はっきり見えることでしょう。雲がなければ雨は降りません。雨が降らなければ、木は育ちません。そして、木がなければ紙は出来ないのですから、この紙がこうしてここにあるために、雲はなくてはならないものです。もしここに雲がなかったら、ここにこの紙は存在しません。それで、雲と紙はインタービーイング(相互共存)しているといえるのです。」
私たちも含めたすべてのものは、相互共存しています。つまり、自分だけの単独での存在はあり得ないのです。木が一本枯れるという事も、私にとって他人事ではないし、むしろ、他人事などあり得ず、すべての事は自分事です。たった一枚の紙が目の前に存在することは、その為に必要な他のすべてが存在するからです。
世界的な気候変動や、他国での戦争や紛争、様々な問題に皆で目を向け、自分の為にもすべてのものと相互共存していることを再自覚する、そんな一年にしたいものです。
令和6年が、檀信徒皆様にとって幸多き年となります様、ご祈念申し上げ、ご挨拶と致します。
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正月号2023.01.01
新年のご挨拶
新年おめでとうございます。気づけば、令和を迎え早5年目を数えます。龍性院檀信徒の皆様方におかれましては、令和5年の新しい年をご家族ご一同様でご無事にお迎えのことと、心よりお慶び申し上げます。また、旧年中に賜りましたご厚情に対しまして、心よりお礼を申し上げます。本年も、當山護持・発展の為一生懸命尽力して参りますので、ご信援を頂きます様、よろしくお願い致します。
「光陰矢の如し」と言いますが、最近は歳を重ねるごとに、この言葉の持つ意味を噛締める、そんな正月を毎年迎えております。「歳月人を待たず」という言葉もございますが、時間というものは本当に人間の都合とは関係なく、あっという間に過ぎ去っていきます。楽しくても悲しくても、あっという間に過ぎ去ります。だからこそ、“今”という時間を無駄にせず、努めて生きていくことが大切なのです。
先日、年に数度会う程度の知り合いと会食し、別れ際に『来年もどうぞお変わりなく。』と挨拶を致しました。するとその方は、「いや、来年は今年よりもっと良い一年に変える。」と返答されました。何気なく良かれと思って掛けた挨拶でしたが、その返答に“なるほどな!”と感じ帰路につきました。
良く考えれば、この世の万物は常に変化していくものです。綺麗に色付いた紅葉も、冬の訪れと共に落葉し、やがて春を迎えれば新たな葉や花を実らせます。日本には四季があり、私たちは季節ごとに変化する自然を目の当たりにし、変わってしまうからこそ、そこに尊さや有難さを感じることが出来るのだと思います。
中国の無門禅師の詩に、《春に百花あり、秋に月あり、夏に涼風あり、冬に雪あり。若し閑事(かんじ)の心頭に挂(かか)る無くんば、便ち是れ人間の好時節。(無門関)》とあります。春には多くの花が咲き、秋には明月が美しく、夏は暑い中にも涼しい風が吹き、冬は深々と雪が降る。我々はつまらない事に心をかけず、ありのままに物事を見ることが出来れば、いつでも好事節なのです。
時間は流れ、諸行は無常です。しかし、世の中は無常だからこそ美しく、無常だからこそより良い未来の為に今を大切に努力を重ねるのです。
昨年、世界では戦争や紛争、災害等多くの災禍に見舞われました。今年は、『お変わりなく』ではなく、「お変わり下さい」と心から願います。
令和5年が、檀信徒皆様にとって幸多き年となります様、ご祈念申し上げご挨拶と致します。
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正月号2022.01.01
新年のご挨拶
早いもので、新たな元号になってから3度目のお正月となりました。龍性院檀信徒の皆様方におかれましては、令和4年の新しい年をご家族ご一同様でご無事にお迎えのことと、心よりお慶び申し上げます。また、旧年中に賜りましたご厚情に対しまして、心よりお礼を申し上げます。本年も、當山護持・発展の為一生懸命尽力して参りますので、ご信援を頂きます様、よろしくお願い致します。
さて、約2年に亘り、世界中に不安や恐怖をもたらした新型コロナウイルス感染症ですが、我が国に於いては、専門家等が語る様々な要因のお陰なのか、幸いに新規感染者数も少ない状態を維持できております。人々が社会生活を再開する中、今後増減の波はあるかと思いますが、ワクチンに加え、治療法や経口薬の開発が進めば、病気を抑え、社会的不安も和らぎ、コロナ以前の日常を取り戻せる、そんな希望がやっと見えて来たように感じます。
昔から、「楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」と言われますが、人生は必ず楽も苦も伴います。どちらか一方ということはありません。しかし、私たちは幸せのみを願い、苦しいことがあれば、この苦しみが永遠に続くものだと思い込んでしまいがちです。もし、幸せのみの世界だとしたら、私たちはその世界を幸せと感じることが出来るでしょうか?新型コロナウイルス感染症の流行前、私たちは友人と食事に出かけたり、遊びに出かけたり、旅行をしたり、そのすべてが“当たり前”と思っていました。当たり前なのですから、当然そこに感動や有難さを感じる心は生まれにくいでしょう。
ところが、コロナ禍で私たちの思っていた“当たり前”はいとも簡単に崩れ去りました。従来、私たちが過ごしていた日常は、“当たり前”ではなく“有難い”ものだと気づかされたのです。これは、“コロナ禍”という苦が、今までの日常生活がいかに有難いものかということを私たちに教えてくれたのだと思います。
幸せのみの世界にいたら決して気づくことの出来なかった幸せ。幸せな人とは、当たり前と思って見過ごしているものの中にある、本当の幸せを受け止める感受性を備えた人なのだと思います。
間もなく、コロナ禍という長かった苦しみから脱して、元の日常である“楽の世界”に戻れるかもしれません。しかしそれは、コロナ禍という苦しみを経た上で獲得できる“楽の世界”でもあります。苦しみとは、普段私たちが気づかない有難い“楽”を教えてくれるもの。このことを心に刻み、コロナ後は多くの幸せを感受できる心を養いたいものです。
令和4年が、檀信徒皆様にとって幸多き年となります様、ご祈念申し上げご挨拶と致します。
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